オーディションをうけてみないか?
高校卒業後、それぞれの進路を歩むことになり、バンドは一度解散しました。
20歳になった時、再びバンドをやろう!という声が上がり、再結成しました。
再結成したとき、イベント出演の話も持ち上がり、オーディションに出てみないかと声が掛かりました。
私たちのバンドは、最終選考に残り、アマチュアバンド5組の枠のうちの一つとして、セミプロやプロに交じってイベントに出演の舞台に立つことが出来たのです。
東京へ・・
それからは、音楽をするなら東京へ行って力を試したいということになり、全員で上京することにしました。
私は仕事をすぐに辞めることはできないし、交通費や上京後の生活費を用意するため、皆より3ヶ月遅れて東京に行きました。
環境が整い、いざ、東京に行ってみると、ショックな出来事がありました。
3カ月の間に、メンバーそれぞれの気持ちがバラバラになっていたのです。
ボーカル担当は、プロのロックバンドの付き人になっていて、ツアーに行ってしまうし・・・
ギター担当は、「自分の実力だとプロにはなれない。足を引っ張るから辞める」と言いだす始末。
ベース担当の私は、「なんやねん!!」と、激しく怒りの気持ちがこみ上げていました。バンドをやるために東京へ来たのに、4人足並み揃えての活動ができず、やりきれない気持ちでした。
停滞するバンド活動、でも、バイトは楽しい
バンド活動が停滞ぎみだった一方、生活のためにしていた水商売のアルバイトは、楽しかったですね。バイトをしながらのバンド活動はあきらめず、新メンバーを自力で集め、何とか形にすることが出来ました。
新メンバーとの初めてのステージは、力が入るのです。だから、ステージ終了後の反省会が辛口なって喧嘩になったりするなんてしょっちゅう。若さと熱さに溢れていましたね。
喧嘩すると、「辞める!」と言い出す人がかならず現れ、それから何回かメンバーチェンジをすることになるのです。
バンド活動は、大変さはいっぱいありましたけど、アルバイトの仲間、馴染みのお客さんが居てくるから、頑張れた気がします。
ぶっちゃけると、水商売の世界にいると誰でもモテるので、勘違いしてしまうのです。(笑) 勘違いのおかげで、バイトとバンドを続けられたってことも少なからずありましたね。
水商売で、学んだ事
お客さんは、
「お酒を飲む事が目的では無く、雰囲気、空気感、笑い、擬似恋愛を求めているのだ」
働きながらお客さんの様子を見て、それを実感しました。だから、喜んでもらえる様に、何を欲しているかを常に見ていたのです。
ここでの経験、お客様の気持ちを考える癖は、ビジネスや仕事をする上で、今でもとても役に立っています。
バンド活動の上で、水商売をしていて役に立ったというか、良かったことが他にもあります。
お客さんを集めるのが簡単だったのです。
ライブに来てくれたお客さんは、ほとんどが、お店の仲間かお店のお客さんでした。
とはいえ、良いことばかりではなく、私ばかりがお客さんを集め注目されるので、バンドメンバーからは妬みが生じるという難しい面もありました。
当時付き合っている彼女も、生活のために仕方はないとはいえ、本当は水商売とは違う仕事をしてほしいと本音では思っていたのだと思います。当時は、それに気づかないふりをしていましたが。
今では想像できないかもしれないけれど、ビジュアル系のロックバンドだったので、何かと心配もかけていたことでしょうね。
長髪で、3色に染めた髪を立てて、ちょっと化粧をしたルックス!・・うん、今の自分からは、ほんと想像できませんね。
たくさんの出来事が転機となり、音楽から離れる
水商売の仕事のほかに、掛け持ちしていたバイトもあったのですが、仕事を水商売一本に絞り、社員として店長を任せられるまでになりました。
この頃はすでに結婚をしていて、子供が生まれた時期でもありました。
バンド脱退!と言う出来事も重なり、さすがに、バンドを辞めるときはショックで、私は号泣しました。
脱退というより、実質はバンドメンバーから「クビ宣告」をされたのですから。
メンバーからの「クビ宣言」は、私のためを思ってのことでした。
メンバーの想いは、
「お前を、色々なことに誘ってきたけど、これ以上誘うのは、彼女に悪いと思う。」
「これからは、彼女を大事にし、幸せにしてあげてほしい」
「結婚したことだし、バンドなんか辞めて、もう、落ち着いた方が良いよ」
メンバーへのありがたいという思いと、悔しいくてやりきれない思いが、ごちゃ混ぜでしたね。
この時、人生は、得るものがあれば、失うものがあるのだということを知ったのです。
(つづく)
生い立ちから現在までのStory